復興大臣失格の今村復興大臣が釈明

今村復興大臣の画像今村復興大臣の問題発言

2017年4月4日午前、復興庁での閣議後記者会見で、フリージャーナリストの質問に「ブチ切れ」して醜態をあらわにした今村雅弘復興大臣が、7日の記者会見で「(帰還は)自己責任という言葉に触れたことが誤解を与えてしまい、反省している」と謝罪しました。

東京電力福島第1原発事故の自主避難者に対する支援を国が事実上中止し、福島県に委譲する処置に対する追求の質問に対して、激高し理性を失い醜態を国民の前にさらけ出したものでした。

スポンサードサーチ

今村復興大臣は4日の会見で「帰れない人はどうするのですか」との質問に対して、「それは本人の責任でしょ」「裁判でも何でもやればいいじゃない」と発言し顰蹙をかいました。

地震、津波による被害は天災による部分も有り、避難者が故郷に帰るかどうかは自己責任の部分もあります。

しかし、原発事故は人災であり全面的に東電と国の責任です。その責任を放棄するような姿勢で震災復興大臣が務まるのでしょうか?

釈明の内容

7日の会見では「いろんな状況を勘案しながら、自らの判断でやっていただくという趣旨だった」と釈明したものの、言い訳がましく、裁判に触れた発言については「一般論として物事の折り合いがつかないときにやることもありますね、と淡々と述べただけ」と説明しています。被災者に寄り添うという考え方は全く持っていないようです。

また、政治家たるものは、口外したら一切釈明をするべきでは無く、後々真意を云々いうのは卑怯です。最初に言ったのが真意のはずです。

復興大臣というポストは、安倍内閣に置いては「調整ポスト」との位置づけが高く、実際安倍総理は、自民党の総裁に選ばれるまでは一回も被災地に赴いていません。さらに、福島県と山口県は、未だ戊辰戦争後の和解に至っていません(鹿児島県と福島県は数十年前に和解しています。)から、心から復興に尽力しようとは考えていないでしょう。

東日本大震災の折、山口県の自治体の長が「ざまあみろ」と発言したとの噂も有ります。また、1986年に長州藩の首府であった萩市が、会津藩の首府であった会津若松市に対して、「もう120年も経ったので」と、会津戦争の和解と友好都市締結を申し入れましたが、会津若松市側は「まだ120年しか経っていない」として、これを拒否しました。

さらに、 1997年会津若松市長が萩市を訪れた際、出迎えのときは握手したものの、記者会見の場では「ニュースで流れるには時間が必要だ」として握手を拒んだ、という話もあります。

安倍内閣が「調整ポスト」と位置付けているために伴食大臣程度の仕事しか出来ない輩を重要ポストにつけているのでしょう。

スポンサードサーチ

今村復興大臣略歴

氏名 今村雅弘
生年月日 1947年1月5日(70歳)
学歴  東京大学法学部卒業
選挙区 佐賀二区

佐賀県鹿島市出身。1970年日本国有鉄道。1996年第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で佐賀2区から出馬し、新進党新人の横尾俊彦らを破り初当選。衆議院国土交通委員会委員 東日本大震災復興特別委員長。自由民主党 総務会副会長。

調整ポストとは

衆議院当選7~8期の議員に対して、能力が無いにも関わらず順送りのポスト用に設けられた大臣ポスト。誰でも出来る、能力を重要視しないポストに該当する。

伴食大臣とは

持っている地位に見合った能力がないか、言いなりになるだけの無能な大臣のこと。 伴食は、主客のお供をして食事をご馳走になること。または、仕事をせずに給料をもらうこと、を言います。
また、財務大臣、外務大臣、国交大臣の様な主たる官庁の大臣ではなく、あまり重要でない大臣ポスト。