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和時計の独特の時制表示

和時計 改の写真
和時計改 暁鐘
出典:菊池昌宏氏のHPより

和時計の時制

和時計は、日本が江戸時代まで採用していた不定時法で時間を表す時計です。不定時法は、1日を24等分して1時間当たりの時間の長さを均一にするのではなく、日の出から日没までの昼間の時間を6等分して一刻とし、夜も同様に日没から日の出までを6等分して一刻とするものです。但し、昼夜の境は日の出前の白々と夜が明ける「薄明」と、日が暮れて人の顔がよくわからなくなる「誰そ彼」(黄昏)が基準で、日の出前30分及び日没後30分といわれています。

江戸時代の和時計

昼と夜の長さは日々変化していますので、変化に合わせて時間を刻むというのは現在のコンピュータ技術をもってすれば簡単ですが、機械式技術で作るのは極めて難しいといえます。その為、江戸時代には、時間のスピードを調整する棒天符のおもりを昼と夜で毎日掛け替え昼夜の針の進み具合を調節する方法と、時刻が刻まれた文字盤のプレートを15日ごとに変えて時間を表示する方法が取られました。

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田中久重による革新的和時計「萬年自鳴鐘」

しかし、この日々2回おもりを変えたり、15日毎に文字盤を変える面倒を全て自動化した技術者が表れます。「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれ、東芝の重電部門の創業者である田中久重です。田中久重の作った和時計「萬年自鳴鐘」はスーパー時計と言っても過言ではない秀作です。
その性能は、

①自動で不定時法を刻むことが出来る
②ゼンマイを1回巻けば1年間動く
③京都から見た1年間の太陽と月の動きを模型で表す
④二十四節気の表示
⑤ 短針が当日の七曜カレンダーを示し、長針は和時計と連動して時刻を表示
⑥十干十二支の表示 – 60通りのその日の干支を自動で表示
⑦月齢を表示( 半球を回転させてその日の月の見え方を表す。)
⑧洋時計と同じく定時法で時間の表示をする

といったものです。

平成の名工菊野昌宏

不定時法の和時計を現在でも制作する一人の日本人がいます。しかも、腕時計式の和時計で、ぜんまい仕掛けの機械式時計を部品から全て手作りする職人で菊野昌宏さんです。菊野さんは、フィリップ・デュフォー氏に認められて、11年に準会員、13年に日本人として初めての栄誉ある「独立時計師協会正会員」になられた方です。
風貌は、どこかブラックジャック様のゴッドハンドを持つ外科医の雰囲気です。

独立時計師協会(独立時計師アカデミー)とは

独立時計師協会とは、スイスのチューリッヒに本部を置き有名なフィリップ・デュフールも所属するメーカーに属さない独立した優秀な時計師をメンバーとする団体です。現在は、正会員34名、準会員4名(内日本人1名)、名誉会員8名で構成されています。最近日本で商標権に絡んで裁判を起こしました高級時計で有名なフランク・ミュラー氏も在籍していましたが、自分でブランドを立ち上げたのに伴い退会しています。入会するためには、スイスのバーゼルで行われる世界最大の宝飾と時計の見本市バーゼルワールドに3年連続して出品し審査をパスする必要があります。

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「和時計改」の概要

菊野さんの製作した時計「和時計改」は、2011年発表の「不定時法腕時計(和時計)」を改良したもので、日本独特の時制である不定時法を採用した腕時計で、駒(インデックス)が季節の変化に伴って自動的に移動する「自動割駒式和時計(じどうわりごましきわどけい)」です。田中久重の「自動割駒式和時計」を参考に独自に開発されたものです。

このシステムにおける駒は、夏至では昼の駒の間隔が広がり、夜の駒の間隔が狭まりますが、冬至では逆に、昼の駒の間隔が狭まり、夜の駒の間隔が広がる仕組みです。「和時計改」は、『経済的、物質的に満たされた今だからこそ、日本の時計文化の原点である和時計に学び、日本が忘れていた精神性、時の概念を現代に甦らせ、世界に発信する』とのコンセプトに基づき製作されています。制作は1年に1個の割合で、値段は1,800万円です。「和時計・改」は、独自性の高さで時計師の間でも有名で、不定時法の時計を機械式技術で製作する技は外国の時計師にとっても驚きだったのでしょう。もちろん、不定時法の時計を作るという発想は日本人でなければ出来ないことです。

なお、彫金師の金川氏とのコラボによる「和時計改」のオリジナル「和時計改 暁鐘」の納品がなされた模様です。

菊野昌宏氏の略歴

菊野さんは、学校を卒業後に自衛隊に入隊しますが、そこで高級時計に拘る上官が腕にはめていた機械式の時計に圧倒されます。自衛隊を除隊後、ヒコ・みづのジュエリーカレッジ(渋谷)に入学して、時計の原理を学びます。一方で、スイスの時計工場を見学したり、学生の時にトゥールビヨンを製作するなど知見と技を磨いていきます。

菊野さんに影響を与えたもう一人の人物が田中久重です。田中久重の作った和時計「萬年自鳴鐘」に衝撃を受け、また、高い機械が無くても昔の人は手作りで作っていたことを知り、自分でも出来るのではないか、と考えたそうです。この考え方から、菊野さんは自動の機械は使わず、100%手作りを目指しているようです。

和時計の時制は、西洋では時計に自らの生活を合わせたのに、日本では自らの生活に時計を合わせた、ことを具象化しています。「和時計改」は、 太陽と共に生きた日本人の生活空間と、現代の人々の時間を、時空を超え表示する、世界初の腕時計なのです。 

驚くべき菊野昌宏氏の世界はこちらのホームページからお楽しみください。